ジモティーサイドから旅行者サイドにポジションチェンジした話
「いつもリゾートみたいな格好してるね。」
福津に引っ越してから顔なじみになったイタリアンレストランのスタッフさんにそう言われた。実は僕はこうやって浮かれポンチ扱いされるのが好きだったりする。糸島に住んでいる時も、週6日通っていたボルダリングジムのオーナーによく同じようなことを言われてはニヤニヤしていた。
リゾート野郎の対義語はジモティーである。ジモティーと呼ぶかジモピーと呼ぶかの議論は今は置いておいて、簡単に言えば僕は地元の人間だと思われるのがあまり好きではないのだ。
だって、旅行者という立場は何かとトクだ。地域のことを知らなくて当然だし、むしろ地元の人にアレコレ教えてもらえるし、新しい情報を得る機会は間違いなく多い。よく「アイデアの量は移動した距離と比例する」なんて言われたりするが、全くその通りだと思う。
と、ここまで旅行者サイドの言い分を述べてきた僕だが、つい最近まではジモティーサイドの陣営に所属していた。僕の実家は渋谷にあって、子供の頃から遊び場と言えばシブヤかシモキタ界隈がもっぱら。飲み会などでは「シブヤとシモキタなら目隠ししても案内できるZE★」なんて言ってカッコつけてプレゼンスを高める姑息な男だった。
さらには職場も渋谷だったので、自他共に認める生粋の渋谷っ子なのだ。
そんな渋谷っ子の僕が、なぜ今は福岡の田舎に住んでいるかというと、渋谷しか知らない自分がどうしようもなく田舎者に思えてきたからだ。渋谷しか知らない田舎者…、花の東京に憧れている地方の人からはお叱りを受けそうなパンチラインだが、大人になった僕にとってはそれがちょっとしたコンプレックスだった。
僕のおばあちゃんも渋谷在住で、渋谷歴60年とか70年とかの大ベテランである。同時に、僕にとっておばあちゃんは「渋谷のかたりべ」だ。戦争の時に空襲で渋谷は火の海になったとか、そういう後世に残すべき話をしてくれる。たまに空襲エピソードが「私の家以外全部空襲で燃えた」という盛り気味なマイナーチェンジをすることもあるが、そんなチャーミングさも含めて貴重な存在なのだ。
では僕はどうだろうか。イマドキの渋谷区の小学生に「昔の渋谷はどうだった?」と聞かれても「だいたい今と同じだね。センター街でマジックマッシュルームを売ってる人がいたよ。あとゴミが多かったね。」くらいしか語り継げるエピソードがないじゃないか。30年間、渋谷に入り浸っててもマジックマッシュルームしか話すことがないなんて、なんてくだらない人生なんだ。
ならば僕は渋谷を捨てた漂流男子として旅に出ようではないか!と、まあそんないきさつで旅行者サイドにポジションチェンジしたのです。近い将来、バンコクにも拠点を持ちたいくらいにバンコクが好きなのだが、なぜかバンコクでは地元民扱いされることが多く、上手に旅行者ヅラできるかが今後の課題になりそうだ。
では、ペットのクワガタにゼリーをあげるので今日はこの辺で(雑なオチ