【そして生活はつづく/星野源】エッセイとmixiが好きだった気持ちを思い出させてくれた星野源
空港で何気なく手にした星野源のエッセイがめっちゃ面白くて思わずkinde版を買ってしまった。
星野源のエッセイ読んでる。あまりにも面白いし、とてつもなく癒される。自分の文章がどんだけ硬くてツマランかを実感させられる。→星野 源 の そして生活はつづくを Amazon でチェック! https://t.co/mLUAYTKYCz
エッセイなんて読むの久しぶりだったんですが、色々と忘れかけていた大切な感情がふつふつと蘇ってきました。
少年時代、活字に目覚めさせてくれたのは間違いなくエッセイだったなあ。
初めて面白いと思った活字の本
義務教育時代、僕は学校のカリキュラムがとにかく嫌いで、「やれ」と言われるとやりたくなくなる典型的な天邪鬼少年でした。
僕の母校は珍しく「読書」という授業がありました。読書好きの人にはたまらない時間だったろうけど、僕は「本を読め」と言われると眠くなるし、自作のネリケシを作りたくなってしまう。
かろうじて「かいけつゾロリ」や「ズッコケ三人組」などの元祖ライトノベルをうわの空でペラペラめくる程度でした。
そんな折、姉の本棚から発見したさくらももこさんの著作「もものかんづめ」をマンガだと勘違いしてめくって見たところ、そいつは”エッセイ”とかいうジャンルの活字本でがっかりしました。
がっかりしましたが、あの国民的アニメ(しかもノンフィクション)の作者であるさくらももこさんがアニメやマンガでなく、自身の生活についてつづった本なのか…と、思うと興味がそそられました。
数ページめくるうち、たちまち活字のさくらももこに魅了され、抱腹絶倒のまま読了してしまったのです。これが僕の活字への目覚めでした。
思えば僕が読書に目覚めた作品もエッセイだった。活字の本なんてクソだと思っていた太一少年にさくらももこのエッセイは刺さりまくったもんです→さくら ももこ の もものかんづめを Amazon でチェック! https://t.co/CWgkrm3T4h
エッセイスト大量生産機としてのmixi
今では廃れてしまったmixi。でも、親しい友達の書いたmixiの日記は何物にも変えがたい優良なコンテンツでした。
ブログやfacebookなどのオープンな文章の発信とは違い、mixiは友達だけに公開されるので、書き手もそれを前提にした気楽な文章を発信できる貴重なプラットフォームだったのでしょう。
つまり、友達の書いたmixiの日記は僕にとってはエッセイなんです。他人が読んだら駄文かもしれないけど、あれは紛れもなくエッセイだった。そう、mixiはエッセイストの大量生産機でした。
やがてmixiを更新する友達もいなくなり、僕はいつの間にかエッセイに触れる機会が激減してしまったというわけなのです。
#星野源の文才に屈した
星野源に話は戻ります。
逃げ恥ブームの裏で「#星野源に屈しない女の会」というハッシュタグが盛り上がったらしいですが、僕は彼の文才にあっさり屈しました。
「そして生活はつづく」は彼が人生の中でも苦手な”生活”の部分にあえてスポット当てたエッセイになっています。日々の生活が苦手だからこそ楽しもう、という人間臭い部分が極めてポップに、愛嬌満点に表現されているのです。
思春期のつらい生活を振り返った「生活はつづく」の章から一部抜粋します。
つまらない家庭に生まれて、つまらない顔に生まれて、つまらない性格に生まれて、つまらない一生を終えるんだと思っていた。うまく友達と接することができない。女の子と話すにも自信がなくて声が出ない。家に帰っても特に話すことがない。だから自然と自分の部屋に閉じこもった。ああつまらない。つまらないなあ。不幸だ。自分は不幸である。と思っていた。今考えれば、思春期の自意識過剰による普通の悩みなのに、当時は余裕もなく結構つらい思いをしていた。しかし、とんねるずの番組を見ているときはそれを忘れられた。
とんねるずの番組を見ながら、星野源少年は笑うかわりにこんなことをしていたそうです。
死ぬほど歯を食いしばっていたのである。
全身に力を入れて、顔を真っ赤にしながら、思いっきり力を入れてはを食いしばる。それがその時期の私の「笑う」という行為だった。
傍目から見たらかなり病的に映ったはずだ。両親も心配だっただろう。小さい頃はケラケラとよく笑っていた子供が、いつの間にか笑わなくなり、テレビを見ながら必死になって歯を食いしばっているのだ。
でも、私はそのときすごく幸せだった。
だっておもしろかったんだもん、とんねるず。
なんなんでしょう。このエッセイエッセイしたホッコリ感は。
今まで自己啓発めいた本ばかり読んでいたので、急に肩の荷がおりたような安堵感と親近感が押し寄せます。
もうひとつ彼の文才について語らせてください。エッセイ全体を通じて、文章の“だぶつき”というか、絶対に必要“ではない”部分にこそ、彼の魅力や人間性が宿っているんです。
ラブシーンの撮影に備えて剃毛したことを説明する際なんて最高の”だぶつき”があります。
そういえばこの間、ちん毛を剃ったんですけど、
あ、ちょっと待って。
本を閉じないでください。ちゃんと理由ならあるんです。まあまあ、確かに私はそこそこの変態だけれども、だからと言ってただ闇雲に陰毛を剃ってしまうほどの純度の高い変態じゃあないし、無目的に陰毛を剃った話をしたいわけじゃない。
なぜ剃毛したかをストレートに説明すればいいものを、わざわざこんな遠回りして彼らしさを滲み出すテクニックがニクいです。
とにかくオススメです。星野源。
やらかめの文章を書くには
それに比べてこのブログの文章の硬いこと硬いこと。
僕が10年前にmixiで書いていた日記なんて無駄にまみれた人間臭さプンプンの文章でした。なのに退職してからというもの、お硬い文章ばかり書いてしまっていました。反省。
ブログを通じて読者の方々に伝えたいメッセージがたくさんあるので、できるだけわかりやすく、どの面を切り取っても理解できるように。といったことばかりを気にしてしまっていました。
それはすごい大切なことなのでこれからも続けていくのですが、やらかめの文章も書いていきたいなあ。
もしかすると僕の古い友達が今のこのブログを見たら、新興宗教の普及活動でもやってるんじゃないかと勘違いされるくらいに硬い文章ですね。「会社辞めて自由になろう!」みたいなことばっかり書いてるし。
何かしらの形で新しい執筆活動にも挑戦していきたいと思います。時間ならたっぷりある。
noteでエッセイでも書くかな。
まずは「ピッチャーマウンドでナイススティックを咥えた話」をテーマに書くか(雑なオチ